愚者の曲解

しすいの雑記。

フリーランス9年目「運とちょっとの戦術で」

2018年、フリーランスで仕事するようになって9年が経とうとしている。2018年はコロナが発生した年でもあって、1月から本当に生活の全てが激変したので、とても印象に残るスタートだった。本当は週2,3はオフィスに出るつもり(ルール!?)だったのに、安易に外出することができなくなり、100%リモートの環境が半ば強制されて、9年経った今もそのまま100%リモートの状態で仕事を続けている。いやー、我ながらよく続いているなぁ。

これまでを振り返ると、本当に運が良かったな、という一言に尽きる。最初はほぼ1つの仕事をやっていて、先行き不安定に見えたこともあり、どうにかもう1つ大きめな仕事を得たいと思っていたら、サブでしていた仕事(当初3万/月)の方の業績が良くなって、そこの保守作業が膨らみに膨らんで、大きな保険を手に入れることができた。メインでしていた先行きが怪しく見えた仕事も、今もやり続けることができている。

もちろん自分なりの努力は最大限していたけど、正直言って、個人の力では及ばない要素(流れとも言うべきか)が大きい。業績の良し悪しは、自分だけではどうにもならないから。今こうして順調に生き残れているのは、「運」が良かったという想いが大きい。

ただ、「運」で片付けてしまうと元も子もないので、生き残れたことについて、ちょっと分析してみようと思う。

  • 自分のできること、できないこと(得意、不得意)の認識
  • 新たなことは可能な限りチャレンジ(知識、知恵を増やす)
  • 他人がやりたがらない空いてることは率先して
  • しっかりと休む時間を設定(今でも下手)
  • 背負いすぎない&サボりすぎない(加減が難しい・・)
  • 現在の収支(生活のことも含めて)を知る(試算表を読むくらいの知識はある)

私は他人とうまく駆け引きする能力はないので、交渉スキルがある人は、挙げたものとは真逆な方向性の方が良い、というものもあるかもしれない。あくまで私のための戦術ということで。

振り返ると1番目、4番目、5番目が難しくて、今でもまだ明確になってない部分が残ってそうな気がする。会社員だったときは、何となくでしか仕事をしてなかったし。ただ、小さい会社いろいろないものだらけだったので、バックオフィスの立場で前線のシステム開発に携わったり、支援的間接的な業務等、あらゆることに手を出してきたので、今では割と役に立っている。

もちろん、あらゆることに手を出してしまうと、1つ1つのスキルに焦点を当てたときに、尖っていない「弱さ」が目立ってしまうが。この辺りの良し悪しは、時代によってどっちが良いかという議論は尽きない。私も正解・不正解がよくわからない。ただ、私はこう思う。どちらを選んでも強み・弱みがあるので、強みがより大きく出るような立ち振舞をすればいいだけじゃない!?と。

せっかく自由なんだから、請負じゃなくて、何かつくってお金になるような仕事を1つ成り立たせたい想いがある。今は請負仕事+そんな動きをしている。

人との「心地よい関係性」のカタチ

ぼくは運良く結婚できて、子どもも3人いるので、家にいて「寂しい」という感じはない。むしろ「家=にぎやか」なイメージだ。40歳になった頃から、少しずつ身体のあちこちが「おや?」という感じで、弱っていることに気付いたり、実際に痛めたりの連続で。もし今1人だったら、寂しいと想うだろうなぁ、と考えたことがある。

最近好んで見続けているYouTubeがあって、山口一郎さん(サカナクション)と狩野英孝さんのチャンネル。たしかお二人とも独身で、自分と年齢もそれほど違わない。山口一郎さんはうつ病を患っているよね。これもYouTubeを見て最近知ったことで、自分も他人事ではないよなぁと想って、彼の話を聞いている。

そんなことを想う中で、山口一郎さんの一言が印象に残ってて、「(YouTube配信は)ぼくの生きがい」と言っていたこと。「みんなと話したい」の一言も、とても印象深い。一郎さんにとって視聴者さんは、ただの視聴者ではなくて、「会話する友達」な存在なんだろう。その人たちと会うことはないのだろうけど、ぼくよりずっと豊かな人とのつながりを持っていて、その数もたくさんある感じがした。狩野英孝さんも似たようなことを言っていたんだよな。おそらく視聴者=ファンなんだけど、ファンと交流するとはまた違う雰囲気が、この2人の配信からは感じられる。

結婚は良いとか悪いとか、友達は多い方が良いとか悪いとか、デジタル上だけの関係ってどうなの?とか。それぞれ良いという意見も、悪いという意見も、その理由と一緒に聞いたことがあるけれど、結局どちらも正しくて間違ってるんだろう。正解はその人による、という感じ。

自分にとっての良い関係性である形も、実はちゃんと理解できてないのかもしれない。基本、実際に入ってみて、感じて考えて、その良し悪しを判断してきたので、残りの人生もそのスタンスは変わらない。デジタル・リアルを問わず、常識にも囚われず、いろいろなあり方を体験していければいいな。

寒暖差に負けた身体で、急変する世界に柔軟であることを考えた話

昨日と今日との寒暖差のせいか、夕方から目を回して動けないでいます。横になりながら、こういう状態だからこそ、何か書いてみようかという試み。

夕暮れからのこの体調は、おそらく急激な気温差に耐えられてません、ということ。ビジネスシーンで「環境の変化に柔軟に対応しよう!でなければ生き残れない」的なことを見たことあるような、聞いたことあるような。

その観点で言うと、気温の変化についていけてない私の身体は、失格なわけです。そういえば、猛暑が毎年続いてるせいで、蚊も減っているらしい。蚊も失格なわけです。

近年は気候の変化のみならず、ビジネスシーンの変化もとても大きい。この急激な変化に、柔軟に対応していかないと生き残ることができないし、優れていることを証明することもできない。

今というか、これから優秀になる人、優秀である人って、もう人間じゃないんじゃないか!?と横になって想っていた。機械化人について書いたことと重なるけど、優秀である=人間を超越に近付きつつある気がする。自然を超える、と言ってもいいかも。

いずれ「ニュータイプ」という言葉も生まれそう。ガンダムで定義されているそれとは、まったく異なる意味合いになるだろうけど。

習慣化するために私がした環境整備の工夫

50代にやってみたいことの中に「絵を描く」があるんだけど、スケッチブックを開いて、色鉛筆を用意して、となるとちょっと重たい(100円ショップで道具は買った笑)。やろう!と思った時に即やれる環境が、自分的には良いというのがあって、結局スマホにお絵描きアプリを入れることにした。こう考えるのは、習慣化できた2つの成功例があってのこと。1つが「歌う練習」で、もう1つが「夜ウォーキング」。

昨年、歌う練習をめちゃくちゃやったんだけど、歌う練習は当に「やろう!」と思った時に即始めることができる、という条件にマッチしたことが一番大きな要因。始めるのに道具がいらないし、その場で即できるから(音源はパソコンでもスマホでもあるから)。ピアノの練習もしているんだけど、これが何故か時々になってしまう。「コスト」と言っても、移動があるかないかの違いしかない。けれど、この「ほんのちょっと」が、結果的に成否を分けた。

何かを始めるときは、まず「習慣」になるまでが難しい。習慣まで昇華するのに何が大切かは人それぞれだけど、毎日ちょっとでもアクションできるように、どういう環境をつくるかはとても大切。だから、何をやり始めるにしても、どういう環境でどういうスイッチでやるかを、よくよく考えて整備するようにしている。

私にとって良い環境はこんな感じ。

  • 思い立った時に秒ですぐできる(仕事の合間とかでもできるとベスト)
  • 終わろうと思ったときもストレスなく秒で切り上げることができる
  • どうすればいいんだろう?と思ったときに情報が多く得られる(私の場合YouTube)
  • ↑に関連して独学しやすい

歌う練習は、これらすべてにマッチしていた。一方で、ピアノはこれらすべてが微妙な感じだった。だから、1年後に出た成果が全然違った。頭では分かっていたけれど、環境は本当に大事なんだと強烈に実感した発見と感動があった。

さて、ピアノはどうするの?という感じだけど、「やりたいポイント」「やりたくなるポイント」の模索ですかね。弾けるようになりたいは変わってないけど、まだイマイチ弱いみたいなので、弾けるようになったときのHAPPYイメージをもっと明確にするとか!?もう少し工夫が必要そう。

歌でまだ引き上げたいところがあるので、その辺り一通り満足点にたどり着いたときに、+ピアノで弾きながら歌ったら楽しいかな、というのに移行しないかなと期待しているので、歌う練習を気分のまま続けていこうかなというところ。長くなったので、夜ウォーキングが習慣に至った話は、また次の機会に。

嫌な記憶を手放せない僕らへ。『天幕のジャードゥーガル』がくれた自分の「心」を守るヒント

「天幕のジャードゥーガル」今年はまだ1クール残ってるけど、この作品、ぼくの中では間違いなくTOP3に入るアニメでした。モンゴル帝国が主な舞台のなかなか例に見ない内容になっている。奴隷だった主人公の女の子(シタラ)は、ペルシアのある学者の家の侍女として生きることになるが、そんな中ペルシアはモンゴル帝国に攻め込まれ、帝国の捕虜となる。帝国に大切なものを奪われて、その憎しみをエネルギーにして生き抜いていく1人の女性の物語。

※天幕のジャードゥーガル:https://anime-jaadugar.com

この話はとてもいい話なんだけど、メインは話の内容ではなくてテーマ曲について。オープニングは「SEKAI NO OWARI~Stella」、エンディングは「女王蜂~星」。どちらもこの話を聞いた上で作られた曲だと思う。歌詞を読んでみると、主人公の心境に沿っている曲だと伝わってきます。

どちらの曲にも強烈なキーワードがあって、Stellaでは「ここでは私は笑えない」。シンプルで強烈。これはもうそのまんまで、「天幕のジャードゥーガル」は全体を通してこういう話です。今回考えてしまったのは、エンディングの星の方で「その心の形を忘れないで」という一言。

この一言が強烈に残ってしまったのは、1年前か2年前に読んだ本のせいだと思う。「わたしがわたしを助けに行こう」という、公認心理師の橋本翔太さんが書かれた、心に関する本です。自分の心とか性格の癖について考えたことがあって、その時に読んだもの。自分のことを理解するための1つの手法として、生まれた感情に名前を付けてあげるというものがあった。自分の持つ心の癖は、すべて自分を守るために働いているので、それを悪者にしないで知ってあげよう、という感じだったと思う、たぶん(笑)この感情の名前付け(ラベリングっていうのかな)と「心の形」がめちゃめちゃリンクして、この読んだ本のことを思い出した。

※わたしが「わたし」を助けに行こう:https://shota-h.com/shota-hashimoto/book-media/bookwt

「天幕のジャードゥーガル」は冒頭でも言ったとおり、悲しいこと、辛いことだらけの話。嬉しいことも楽しいことも、もちろんあるけれど、そのほとんどは忘れたい、思い出したくない出来事や感情だらけ。嫌なことと向き合うのは、とても難しいこと。この年齢になっても、全然うまくなってない。忘れ去りたいものだけど、そこで感じた自分の「心の形」を無視してはいけない。最終的に自分にとって損だからという意味で。

「ここでは私は笑えない」けれど「その心の形を忘れない」ことは、最終的に自分を守ることなんだと、読んだ本と合わせて再確認、再整理させられる時間を過ごした、という話でした。